報酬か?信念か?弁護士という職業の二極化

弁護士というと、どうしても同級生の女子を思い出してしまう。裕福な家の子で学生時代から色々なブランドバッグで学校へ通っていた。性格は自己中心的でいつも自分が一番。弱い立場の人の気持ちがわからない子だった。勉強は嫌いで、大学は全て落ち、一浪して地方の私大へ入った。卒業後は地元の大学院へ入学。その後30歳手前まで親の元で援助を受けながら、資格の専門学校へも通い、今では弁護士として働いている。その後、法科大学院の制度もでき、弁護士という職業はそれまで以上に資力のある家庭に育った子が選びやすい道のように思える。社会人経験も挫折も知らないまま、親の強い庇護のものに弁護士になった者はまた、弁護報酬の高い資力のある企業側や立場の強いものにつく仕事を好んで選ぶのではないかとうがった見方をしてしまう。「弱いものを助けたい」という志を持って弁護士になる人はどれほどの割合いるだろう。冤罪事件や薬害エイズ訴訟のような医療訴訟など、大組織に対して立ち向かう弱い立場の人たちに寄り添う本当に信念のある弁護士。そんな弁護士ほど裕福な暮らしはしていないのではないかと思うのだ。アメリカなどでは、弁護士の力量ひとつで裁判がひっくり返されることもあるという。そんな有能な弁護士を雇えるのは高額な弁護力を支払える者だけだ。真実を追うはずの裁判の行方はお金で買えることになってしまう。弁護士という職業の人を見ると、あなたはお金で動くタイプ?信念で動くタイプ?とついつい斜めにみてしまう私である。